世界大百科事典(旧版)内のバレエ・ダクシヨンの言及
【ノベール】より
…バレエの改革者として重要で,著書《舞踊とバレエについての手紙》(1760)に述べられた理論は今日いまだに有意義である。イギリスの俳優ギャリックと親交を結び,その教えを受けて,バレエ・ダクシヨンballet d’actionを創始した。これは歌や台詞を使わず,黙劇的演技(マイム)により物語の筋や劇的行為を表現するもので,今日の舞台芸術としてのバレエの基本形となった。…
【バレエ】より
…彼によってオペラとバレエは完全に分離され,今日のバレエの基礎が築かれた。ノベールは自分のバレエをバレエ・ダクシヨンと呼んだが,それが今日のバレエであり,現在では単にバレエといわれている。またこの時代には優れた舞踊家が輩出し,さらに衣装の改革が進み,仮面は廃止された。…
【バレエ音楽】より
…その中心地となったのは,パリとモスクワおよびペテルブルグであった。 18世紀半ばころに,パリのノベールを指導者として〈バレエ・ダクシヨン〉が創始された。これはバレエの舞台から台詞と歌を排除し,舞踊とパントマイムをもっぱらオーケストラが支えるといった近代バレエの原型である。…
※「バレエ・ダクシヨン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」