世界大百科事典(旧版)内のバンタン蜂起の言及
【バンタン】より
…1884年の第2次フエ条約により,ベトナムの主権はフランスに奪われたが,これに最も早期に反応したのは,村内権力の基礎が崩壊するのを恐れたバンタン層である。85年ハムギ(咸宜)帝の勤王の檄が下されると,中部,北部のバンタン層は農民を指導して各地でフランス軍を攻撃した(バンタン蜂起)。しかしフランスは村落内のバンタン,フオンチュックの権力をそのまま是認し,植民地権力に利用する政策をとったので,反乱は87年ごろからしだいに鎮静化し,村落はその封建的な体質を残したまま1945年の8月革命を迎えることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」