世界大百科事典(旧版)内のバンダ・オリエンタルの言及
【アルティガス】より
…ウルグアイの軍人,政治家。バンダ・オリエンタル(スペイン植民地時代のウルグアイの旧称)の名門に生まれ,牧畜業に携わったのち農村警護隊の士官となる。1811年ブエノス・アイレス市の自治政府と協力して独立運動を起こしたが,連邦制によるラ・プラタ地域の統一を主張したため,中央集権制に固執するブエノス・アイレス市政府との対立を深めた。…
【ウルグアイ】より
…しかしモンテビデオ市を中心とする首都圏への人口集中度(約45%)は南アメリカ随一である。ウルグアイ川の東岸に位置することから,スペインの植民地時代にはバンダ・オリエンタル(東岸の意)とよばれた。
[自然]
地形的にはブラジル南部の台地とアルゼンチンのパンパとの移行地帯に属し,ブラジル国境からアエド,グランデ,サンタ・アナの丘陵が延びている。…
【ラ・プラタ諸国】より
…この間メンドサの部下のサラサールがアスンシオン市を建設し,以後ラ・プラタ地方の植民活動の中心地となった。そして,この地に生まれたクリオーリョ(クレオール)を多数含んだガライの遠征隊が南下して,1580年ブエノス・アイレス市を再建し,さらにブエノス・アイレス市から派遣された遠征隊が1726年にモンテビデオ市を建設し,バンダ・オリエンタル(現在のウルグアイ)の開発の素地をつくった。 このように今日のラ・プラタ諸国の植民は相互に関連しつつ進められたが,早くも植民地時代に地域間の相違・対立が顕著となりつつあった。…
※「バンダ・オリエンタル」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」