パクス・ネーエルランディカ(読み)ぱくすねーえるらんでぃか

世界大百科事典(旧版)内のパクス・ネーエルランディカの言及

【インドネシア】より

…とりわけ教育の対象とされたのはジャワの貴族階層(プリヤイ)の子弟であった。彼らは植民地官僚制の担い手であるとともに,著名なイスラム学者ヒュルフローニェの思想にみられるような,19世紀末までに達成した軍事制圧の基礎の上にオランダ語と西欧文化の流入を通じて本国と植民地民衆の強固な精神的一体化をめざすパクス・ネーエルランディカ(パクス・ブリタニカに拮抗する〈オランダの平和〉と〈オランダ的秩序と安寧〉)を実現するための,原住民側の相手方として役割づけられたのである。 しかしそれとは逆にこの倫理政策を通じて住民の間にはオランダ領東インドという領土をインドネシアという一体的な領域としてとらえなおし,オランダ領東インドを支配している植民地的秩序を解体してこの同じ境域に新しい独立国家を樹立しようとする自覚がめばえ始めた。…

※「パクス・ネーエルランディカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

〘 名詞 〙 ( 牽牛と織女の別れを悲しむ涙雨の意 ) 陰暦七月七日に降る雨。せいるいう。《 季語・秋 》[初出の実例]「歳時雑記曰、〈略〉七日雨、則曰二洒涙雨一」(出典:俳諧・滑稽雑談(1713)七...

洒涙雨の用語解説を読む