世界大百科事典(旧版)内のパニック映画の言及
【スペクタクル映画】より
…60年代から70年代にかけて,若い世代の映画観客の関心がスケールの大きさを誇示するスペクタクル映画よりも独立製作者たちの作品に向けられたことや,スターたちが出演料のほかに利益配分を要求したことなどもあって,製作費のかさむスペクタクル映画は急速にすたれたが,やがて天地海陸の災害をテーマにした〈グランド・ホテル形式〉の新しいスペクタクル映画としてよみがえってくる。《大空港》(1970),《ポセイドン・アドベンチャー》(1972),《大地震》(1974),《タワーリング・インフェルノ》(1975),《ヒンデンブルグ》(1976)といった特撮を活用した〈パニック映画〉(アメリカではdisaster film,すなわち〈災難・災害映画〉)とよばれる新しいジャンルがそれである。これらのハリウッドのパニック映画は〈窮余の気まぐれ〉ともいわれたが,SFスペクタクル《スター・ウォーズ》(1977)が示したように,スペクタクル映画にはつねに大きな利益をもたらす可能性が潜在しており,映画史家の指摘によれば,映画の歴史75年の〈マネー・メーカー〉10本のうちの5本までがスペクタクル映画のジャンルに入る作品だという。…
※「パニック映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」