パラマーヌチットチノーロット親王(読み)ぱらまーぬちっとちのーろっとしんおう

世界大百科事典(旧版)内のパラマーヌチットチノーロット親王の言及

【タイ】より

…個人の作としては最大のロマン《プラアパイマニー》(スントーンプー作)が完成したのはラーマ3世時代(1824‐51)であろう。このころ,10年をかけて英雄ナレースエン王(在位1590‐1605)賛歌の名作《タレーンパーイ》を書いた僧籍のパラマーヌチットチノーロット親王(1790‐1853)は,《布施太子本生経》の約4割を名調子で書いている。 19世紀半ばから印刷が始まり新聞が発刊され,ヨーロッパに赴くタイ人が増え,1868年チュラロンコンが即位して文明開化期に入ると,散文全盛時代となったが,作家の生活は苦しく,現代文学にはまだ不朽の大傑作はなく,映画とテレビの普及は舞台演劇をも弱体化してしまった。…

※「パラマーヌチットチノーロット親王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む