世界大百科事典(旧版)内のパリ勅令の言及
【クロタール[2世]】より
…祖父クロタール1世の死後フランク王国は分国に分かれ,対立・抗争が続いていたが,613年国内の豪族層の支持により王国の統一を達成した。翌614年パリ勅令を発布し,伯にはその地方に所領をもつ有力者を任命することを規定したことは,統一の代償として豪族層に譲歩したことを示す。【平城 照介】。…
※「パリ勅令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...