世界大百科事典(旧版)内のパルワーンの戦の言及
【ジャラール・アッディーン】より
…ホラズム・シャー朝の最後の君主。在位1220‐31年。アフガニスタン北部のパルワーンParwānの戦でモンゴル軍を破り,チンギス・ハーンに追われるや,単騎インダス川を渡って逃れて名をあげた。王朝再興のため尽力し,アッバース朝カリフとの抗争でバグダードへ遠征,その後ウズベクÖz Begと戦ってタブリーズを取り,グルジア,アルメニア,アナトリア遠征を行った。最後はモンゴル軍から逃れようとして,東部アナトリアの山中で,クルド人に殺された。…
※「パルワーンの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」