世界大百科事典(旧版)内のヒュウザン会の言及
【フュウザン会】より
…1912年(大正1)斎藤与里(より)(1885‐1959),岸田劉生,清宮彬(せいみやひとし)(1888‐1969)が発起して結成,その年10月に銀座京橋の読売新聞社3階で第1回展覧会をひらいた。結成当初は〈ヒュウザン会〉と称し,のちフュウザン会に改められた。参加したのは高村光太郎,川村信雄,木村荘八,万鉄五郎,硲(はざま)伊之助,小島善太郎,小林徳三郎,岡本帰一,バーナード・リーチ,彫刻の毛利教武,川上邦世,工芸の藤井達吉ら30余人で,ゴッホ,ゴーギャン,セザンヌ,マティスなどにならって主観の強い表現を打ち出し,若い画家や一部の識者の注目するところとなった。…
※「ヒュウザン会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」