世界大百科事典(旧版)内のヒンタータ族の言及
【ハフス朝】より
…チュニジアと東部アルジェリアを支配したベルベル系マスムーダ族の一派,ヒンタータHintāta族の王朝。1228‐1574年。創始者アブー・アルザカリヤーAbū al‐Zakariyā’はチュニスを都としてムワッヒド朝から自立。13世紀後半のムスタンシルal‐Mustanṣirの治世が最盛期で,ルイ9世の第7回十字軍(1270)とも戦う。その後,アブー・ヤフヤーAbū Yaḥyāの治世(14世紀前半)とアブー・アルアッバースとアブー・ファーリスの両治世(14世紀末~15世紀前半)とが政治的に安定していた以外は,内乱とマリーン朝やキリスト教徒の侵入に悩まされることが多く,その政治的不安定さは,チュニスに生まれハフス朝にも仕えたイブン・ハルドゥーンに強い影響を与えている。…
※「ヒンタータ族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」