世界大百科事典(旧版)内のビアフラ共和国の言及
【アフリカ】より
…大小250以上の部族を擁する西アフリカのナイジェリアは,そうした分裂要因に悩まされてきた国の典型である。1967年7月から70年1月にかけて起こった内戦(ビアフラ戦争)は,北部(最大の部族であるハウサ族,フラニ族の居住地域)優位の政治に対する東部のイボ族の不満が高まり,東部がビアフラ共和国として分離独立を宣言したことに起因するものであったし,より古くは国連軍派遣という事態にまで発展した第1次コンゴ動乱(1960年7月~63年1月)も,部族対立,地域対立がからんだ内部紛争であった。90年代にいっそう激化しているルワンダやブルンジのツチとフツの根強い対立や,スーダン,コンゴ,ソマリアなどの内戦も,分裂要因の具体的事例としてあげることができる。…
【ナイジェリア】より
…戦闘開始直後はビアフラ軍が優勢であったが,10月以降,連邦政府軍が反攻を始め,68年9月にはビアフラの石油積出港であるポート・ハーコートを略取した。内戦の進展に伴い,タンザニア,ガボン,コートジボアール,フランスがビアフラ共和国を承認し,アフリカ統一機構(OAU)が調停に乗り出したが,解決をもたらさなかった。70年1月,臨時首都のオウェリが連邦政府軍に占領され,オジュクはコートジボアールに亡命し,2年半にわたる内戦は終結した。…
※「ビアフラ共和国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」