世界大百科事典(旧版)内のビクトリア朝の言及
【イギリス】より
… 産業革命に続く19世紀の第3・四半世紀,言い換えればロンドンのハイド・パークで世界最初の万国博覧会が開催された1851年から,長い低成長時代が始まる73年の恐慌に至る四半世紀は,いわば産業革命の収穫期であって,イギリスが繁栄の絶頂に達した黄金時代であった。後世のイギリス人が〈ビクトリア朝の繁栄期〉と呼んでいるこの時期は,レッセフェールを謳歌し自由競争を基調とした時期であり,資本主義が最も典型的な姿を示した時期であった。他の国々に先駆けて新工業技術をマスターしたという技術的優位のおかげで,この時期のイギリスは繊維製品をはじめとする工業製品の世界的・独占的供給者――いわゆる〈世界の工場〉――となり,他の農業国はイギリスに食糧と原料を供給することになった。…
【ポルノグラフィー】より
…また,写真の発明もいち早く利用され,19世紀半ばにはポルノ写真がかなり出回りはじめた。ビクトリア朝のイギリスの中産階級の間で特にポルノグラフィーが栄えたのは,この時代が表と裏を厳しく分けていたせいであった。ビクトリア朝の人々は,表では性的なものがまったく存在しないかのようにふるまっていた。…
※「ビクトリア朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」