世界大百科事典(旧版)内のピュティアの言及
【アポロン】より
…このほか,その職能が多方面にわたるうえに,りりしく美しい青年と想像されたアポロンをめぐっては,おびただしい数の神話が語り伝えられており,月桂樹に変容したニンフのダフネ,医神アスクレピオスの母となったコロニスKorōnis,円盤にあたって死んだ美少年ヒュアキントスらとの恋物語や,牧神パンとの歌競べなど,よく知られた話が多い。 崇拝の中心地はデルフォイとデロス島で,デルフォイの神託所では,結婚や病気といった個人的な問題から,植民市建設,和戦の決定などのポリスの重大事にいたるまで,ピュティアPythiaと呼ばれる巫女が神意を伝えた。ソクラテスの友人の問いに応じて〈彼以上の賢者はひとりもいない〉との託宣が下されたのも,このピュティアの口を通じてである。…
【デルフォイ】より
…デルフォイの神託は最初はただ地方的な意義しかもたなかったが,ギリシア人の植民が盛んになった前8~前7世紀ころから非常に重要視され,その名声はギリシア人の範囲を越え,リュディアやエジプトを含むオリエント諸国にまでひろがった。その神託の方法については,この神域にあった大地の割れ目の上に青銅の鼎(かなえ)をわたし,その上に巫女(みこ)ピュティアpythiaが座って地底から立ちのぼる霊気を吸い,忘我の状態になって神の言葉を発し,かたわらの神官がそれを韻文に直して質問者に与えたと伝えられる。デルフォイは前6世紀初めの第1次神聖戦争によって付近のクリサの支配を脱してから最盛期を迎え,以後,聖地の管理,経営,防衛は,ギリシアの12部族の間に結成された隣保同盟にゆだねられた。…
【ピュトン】より
…大地女神ガイアの神託所の番をしていたが,アポロンに退治された。アポロンはその罪滅ぼしに,葬礼競技ピュティア祭の開催を定め,新たに開いたみずからの神託所の巫女にはピュティアPythiaの名を与えた。彼はまたピュトンの遺骸を,デルフォイのアポロン神殿の聖石オンファロスOmpharos(〈へそ〉の意で,同地が世界の中心たることを示す)の下に葬ったという。…
※「ピュティア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」