《ファクンド――文明と野蛮》(読み)ふぁくんどぶんめいとやばん

世界大百科事典(旧版)内の《ファクンド――文明と野蛮》の言及

【サルミエント】より

…チリでは教員,鉱山夫などを務め,36年に一時サン・フアンに戻って,雑誌《エル・ソンダ》を刊行し,また当時ヨーロッパからブエノス・アイレス市に伝わったロマン主義思潮に触れ,その信奉者となった。40年チリに再び亡命し,ジャーナリストとして健筆を振るうかたわら,19世紀のラテン・アメリカにおけるロマン主義文学の最高傑作といわれる《ファクンド――文明と野蛮》(1845)を発表した。同書はカウディーリョのファクンド・キロガの伝記という形を採りつつ,当時の独裁者ロサスを批判したものであり,国の後進性の原因をスペイン的伝統や粗野なガウチョの存在に求め,西欧移民の誘致や教育の拡充による文明化=西欧化を提唱していた。…

※「《ファクンド――文明と野蛮》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」