世界大百科事典(旧版)内のファン・アイク,H.の言及
【ファン・アイク】より
…フランドルの画家。ファン・エイクとも記す。早くよりイタリアで油彩画の創始者と信ぜられた。対象の質感や空間の遠近の正確な表現,また肖像画における3/4正面胸像形式の採用と左方から来る光線によるモデルの肉付け等は他者の追随を許さず,孤高の画家ともいえる。おそらくマースエイクMaaseikで生まれ,ブリュージュに没。はじめハーグのホラント伯の宮廷にミニアチュール画家として仕える。1425年以降ブルゴーニュ公の宮廷画家また侍従として活動し,しばしば特使として遠国に派遣され,とくに28‐29年にはポルトガルに滞在し,同国の王女イサベラを主君フィリップ(善良公)の妃として迎えることに尽力した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」