フィレンツェ人文主義(読み)ふぃれんつぇじんぶんしゅぎ

世界大百科事典(旧版)内のフィレンツェ人文主義の言及

【人文主義】より

… その中心はフィレンツェであった。ペトラルカの弟子サルターティを中心として形成されたサン・スピリト修道院の集いは,そこから多くの指導的知識人を育成して,文字どおりフィレンツェ人文主義の揺籃(ゆりかご)となった。彼はすぐれた古典学者であるばかりでなく,すぐれた政治家でもあり,書記官長の重職にあってフィレンツェを衰亡の危機から祥運へと導いた。…

※「フィレンツェ人文主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

ローマ法王ともいう。ラテン語 Papaの称号はカトリック教会首長としてのローマ司教 (教皇) 以外の司教らにも適用されていたが,1073年以後教皇専用となった。使徒ペテロの後継者としてキリスト自身の定...

教皇の用語解説を読む