世界大百科事典(旧版)内のフェノロサ・ダウ方式の言及
【アメリカ美術】より
…その理由はアメリカ美術自身の若さに原因があるとともに,戦前の日本がヨーロッパ,とりわけフランス美術の吸収に没頭していたためといってよい。アメリカでは19世紀末ごろジャポニスムが隆盛し,20世紀初頭には〈フェノロサ・ダウ方式〉という日本画の筆づかい等をとり入れた日本式美術教育が実施された。清水登之(とし)(1887‐1945),国吉康雄,石垣栄太郎(1893‐1958),野田英夫(1908‐39)らは,例外的にアメリカで学び活動した画家で,1910‐40年代にアメリカの現実社会をやや哀愁を帯びた調子で描いた。…
【ジャポニスム】より
…これら一連の展開の陰には岡倉天心の活動があった。狩野派様式をふまえた〈フェノロサ・ダウ方式〉の絵画教育は1930年代まで各地で実施され,広範な影響を及ぼした。後者は1920年代から注目された禅によって始まり,シアトルを拠点とするトービー,グレーブスMorris Graves(1910‐ )などの絵画を生んだ。…
※「フェノロサ・ダウ方式」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」