フェレーニヒング和平条約(読み)ふぇれーにひんぐわへいじょうやく

世界大百科事典(旧版)内のフェレーニヒング和平条約の言及

【ボーア戦争】より

…その後,戦闘はゲリラ戦となり,ド・ベットやド・ラ・レイの率いるボーア人ゲリラが反撃に出たため,イギリス軍は壊滅作戦に出て非戦闘員の家屋や田畑を焼き払い,世界の民衆の同情はボーア人側に集まった。しかし02年イギリス側が勝ち,フェレーニヒング和平条約によって,トランスバールとオレンジ自由国はイギリス直轄植民地となった。なお,この戦争に特派員として派遣されたJ.A.ホブソンはその見聞に基づいて《帝国主義論》(1902)を著した。…

※「フェレーニヒング和平条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む