世界大百科事典(旧版)内のフェレーニヒング和平条約の言及
【ボーア戦争】より
…その後,戦闘はゲリラ戦となり,ド・ベットやド・ラ・レイの率いるボーア人ゲリラが反撃に出たため,イギリス軍は壊滅作戦に出て非戦闘員の家屋や田畑を焼き払い,世界の民衆の同情はボーア人側に集まった。しかし02年イギリス側が勝ち,フェレーニヒング和平条約によって,トランスバールとオレンジ自由国はイギリス直轄植民地となった。なお,この戦争に特派員として派遣されたJ.A.ホブソンはその見聞に基づいて《帝国主義論》(1902)を著した。…
※「フェレーニヒング和平条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」