フェントン,J.W.(読み)ふぇんとん

世界大百科事典(旧版)内のフェントン,J.W.の言及

【君が代】より

…近世に入り,地歌,長唄などにもとり入れられ,祝賀の歌詞として用いられた。1869年(明治2)ころ,横浜にいたイギリス軍楽隊長J.W.フェントンが国歌の必要を説き,薩摩藩砲兵隊長大山弥助(のちの元帥陸軍大将大山巌)が薩摩琵琶歌《蓬萊山(ほうらいさん)》に入っていた《君が代》を歌詞として選定(選者については異説あり),フェントンがこれに作曲。76年,この曲は日本人には不適であるとの判断から,海軍軍楽隊長中村祐庸は〈天皇陛下ヲ祝スル楽譜改訂ノ儀上申〉を提出,西南戦争後,海軍省は新曲作成を宮内省式部寮雅楽課に委嘱,80年同課では壱越(いちこつ)調律旋により作曲(形式上は〈林広守撰譜〉と公表),海軍省傭教師F.エッケルトが和声を付し,同年11月3日,天長節宮中御宴で伶人らにより初演。…

【軍楽隊】より

… 日本における軍楽隊の歴史は,19世紀中葉から西洋の軍制の採用に伴い鼓笛隊が編成されたことに始まる。最初の近代軍楽隊は,1869年(明治2)薩摩藩が,イギリス海軍軍楽隊長フェントンJohn William Fenton(生没年不詳)の指導を受けて編成した薩摩藩軍楽隊である。1871年に陸・海両軍に軍楽隊が誕生,このとき発足した兵学寮教導隊軍楽隊が,のちの陸軍戸山学校軍楽隊で,演奏活動のほか軍楽教育機関も併せもった。…

【日本音楽】より

…明治初期の洋楽の輸入は,まず軍楽隊の編成から始まる。薩摩藩の藩兵は,イギリスのフェントンJohn William Fenton(生没年不詳)の指導で69年軍楽隊を結成し,続いて陸軍,海軍の軍楽隊が誕生し,ドイツ人エッケルトFranz Eckert(1852‐1916)らが教師として招かれた。洋楽の輸入と学習は,音楽教育の分野でも開始され,アメリカ留学から帰国した伊沢修二らの努力で,79年10月,文部省の所属機関として教材作成,教員養成のための音楽取調掛が設置された。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」