《フペリョード》(読み)ふぺりょーど

世界大百科事典(旧版)内の《フペリョード》の言及

【機関紙】より

…ことに配布網を重視するという思想は,組織がまだ若く,旧体制の抑圧機構が強力であったという事情に加えて,媒体の組織化の機能にレーニンが早くから気づいていたことを示している。ロシア社会民主労働党が多数派と少数派に分裂して以降は,多数派(ボリシェビキ)は《フペリョード》を発行し,1912年には《プラウダ》が創刊される。フランスでは,1904年社会主義運動は二つに分裂していたが,ジャン・ジョレスの社会党が,当時の金額で88万フランを集めて《ユマニテ》を創刊した。…

※「《フペリョード》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」