世界大百科事典(旧版)内のフュナンビュール座の言及
【ドビュロー】より
…ボヘミアでアクロバットの芸人の息子として生まれ,一家と共にヨーロッパ中を巡業,1811年パリの定期市の舞台で初めて軽業の芸を見せる。16年パリのタンプル大通りに建てられたフュナンビュール座の出し物に加わり,白塗りの顔に白い衣装をつけたメランコリックなピエロの役柄を再創造して,パリ中の人気者になった。彼の芸は,後に彼の伝記を書いた文芸評論家・小説家のジャナンJules‐Gabriel Janin(1804‐74)の熱狂的支持の影響もあって,当時の多くの文学者をフュナンビュール座の後援者とさせ,C.ノディエやシャンフルーリなどが台本を提供するほどになった。…
※「フュナンビュール座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」