世界大百科事典(旧版)内のフランス印象派の言及
【アバンギャルド】より
… こうした短編映画のみならず,この時期のフランスの代表的長編映画,デュラック《スペインの祭》(1919),デリュック《狂熱》(1921),J.エプスタン《アッシャー家の末裔》(1928),A.ガンス《鉄路の白薔薇》(1923),J.ルノアール《水の娘》(1924)等を〈アバンギャルド〉の流れの中に一括する見解もある。しかし,アンリ・ラングロアはこれらの作品をドイツ表現派と対比するため〈フランス印象派〉と名づけ,映画史ではこの分類が定着しつつある。
[理論と手法]
アバンギャルド映画の形成にはV.エゲリングの〈絶対映画〉やH.リヒターの〈抽象映画〉の強い影響があり,フランスのジェルメーヌ・デュラック(1882‐1942)の〈純粋映画〉〈完全映画〉の理論とも結びついている。…
【フランス映画】より
…これらの連続活劇,とくにフイヤード作品には,オール・ロケによる〈生活の断片〉が画面をいきいきとさせており,舞台のセットで撮影された〈フィルム・ダール〉に欠けていたリアリズムの命脈を,この連続活劇によって保持したことがいかに映画史的に重要であるかは,飯島正もその著《前衛映画理論と前衛芸術》(1970)において指摘しているところである。
[フランス印象派と映画芸術運動]
アメリカ映画が〈娯楽産業〉として発展していく傾向に対して,あくまでも純粋な〈芸術〉をめざすフランス映画の特色が明確に現れたのが,第1次大戦後の1920年代でアベル・ガンス監督の有名な〈映像の時代が到来した〉というマニフェストに象徴されるように,映画を〈新しい芸術の表現形式〉と考え,あらゆる〈公式主義と画一主義を排して〉,映像による詩や音楽をつくろうとする映画芸術派が主流をなすに至った。ルネ・ジャンヌが〈フランス派〉と呼び,ジョルジュ・サドゥールが〈フランス印象派〉と名づけた映画作家たちが一時代をつくる。…
※「フランス印象派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」