世界大百科事典(旧版)内のフロニカの言及
【ソビエト映画】より
…ロシア映画は,舞台劇の実写や,フランス映画やドイツ映画の影響を受けてトルストイ,ドストエフスキー,プーシキン,ツルゲーネフなどの小説をもとにした〈文芸もの〉が主流であった。このようにソ連が帝政ロシアから受け継いだ映画的遺産はきわめて貧弱であったが,革命の初期から映画がもっとも重要な芸術であると認めていたレーニンは,19年8月,映画産業のすべてを国有化する布告に署名し,内戦の初めから〈フロニカ(記録映画,ニュース映画)〉あるいは〈アギトカ(扇動映画)〉とよばれる軍事的,政治的な啓蒙短編映画(のちに開拓されて長編記録映画となり,イギリスのドキュメンタリー映画の母胎ともなった)がつくられ始めた。また,19年10月には世界最初の国立映画学校がモスクワで開校された。…
※「フロニカ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」