ブライアン・ボルー(読み)ぶらいあんぼるー

世界大百科事典(旧版)内のブライアン・ボルーの言及

【アイルランド】より

…8世紀末から10世紀にかけて,バイキングがしばしばアイルランドを襲い,修道院の宝物などを奪ったが,彼らはまた,ダブリン,コークなどの海港都市を建設して定住し,交易を営むようにもなった。アイルランド人はバイキングに抗しきれずにいたが,ようやく1014年に,マンスター王ブライアン・ボルーBrian Boruの指揮の下でバイキングをクロンターフの戦で打ち破り,以後,都市に住むバイキングはしだいにアイルランド化していった。
[ノルマンの侵略とイギリスによる征服]
 各地方の諸王の間ではボルーの死後,抗争が絶えず,12世紀には,レンスター王ダーマット・マクマローがイギリス王ヘンリー2世に失地回復のための援助を乞うた。…

※「ブライアン・ボルー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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