世界大百科事典(旧版)内のブラジュ・バーシャーの言及
【スールダース】より
…ビシュヌ神がクリシュナに化身して,無邪気な幼児の姿で戯れるさまを母ヤショーダーの目から写した慈愛あふれる詩,青年になったクリシュナを後に妃となったラーダーと周囲の牧女たちが恋い慕うさまを描いた恋愛詩は,今日まで愛唱されてきており,バクティの平易にして視覚的な表現に成功している点で,後代の思想と文学に大きな影響を及ぼした。また,マトゥラー付近の一方言にすぎなかったブラジュは,スールダースの賛歌が広まるにつれて詩語ないしは文語としての地位を得て,ブラジュ・バーシャーBraj Bhāṣā(ブラジュ地方の言語)と称されるようになった。【坂田 貞二】。…
【ハリシュチャンドラ】より
…それらで彼が訴えたのは,インドの伝統の再興と民族意識の高揚の必要であった。そのほかヒンディー語雑誌を発刊して幾多の俊英を育てるなど,近代を開拓した功績が大きいが,言語的には詩作は前代の詩語ブラジュ・バーシャーにより,評論と戯曲では注目され始めたカリー・ボーリー(共通ヒンディー語の母胎となった言語)によるという二重性を残した。【坂田 貞二】。…
※「ブラジュ・バーシャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」