世界大百科事典(旧版)内のブルンフェルス,O.の言及
【ニコデミズモ】より
…ニコデモの名が冠せられるのは,もともと,このような態度をとる者を〈夜ひそかにイエスを訪れたニコデモ〉(《ヨハネによる福音書》3:1以下)に擬して〈ニコデモの徒〉とカルバンが論難した(《ニコデモの徒への釈明》1544)ことに由来する。ニコデミズモを最初に理論化したのはストラスブールのO.ブルンフェルスであり(1527),その後農民戦争の敗北と宗教による社会変革の挫折に伴い,ドイツ,フランスさらにイタリアの都市知識階層の間に広がったが,〈民衆的宗教改革〉の傍流にとどまった。なお,ニコデミズモをスペインのマラノス主義(コンベルソ)と関連づける説(M.バタイヨン)もある。…
【本草学】より
…P.ディオスコリデスの《薬物誌De materia medica》には約600種の植物とその用法が記され,1世紀に公にされてから長いあいだ植物薬学の基準となっていた。その後,13世紀のアルベルトゥス・マグヌスの《植物論De vegetabilibus》を除けばめぼしい業績はなかったが,16世紀に至ってディオスコリデスの追加訂正の形でブルンフェルスO.Brunfels,フックスL.Fuchs,クルシウスC.de Clusiusらの植物の図解が次々と世に出たほか,16世紀末にはA.チェザルピーノの《植物学De plantis libri》がまとめられた。コルドゥスV.CordusやボーアンG.Bauhinらが薬物学としての植物学を大成させていくのと並行して,17世紀末から18世紀初頭にかけて,レイJ.RayやトゥルヌフォールJ.P.de Tournefortが種や属の概念を確立し,18世紀のリンネによる近代植物学への基礎固めが始められることになる。…
※「ブルンフェルス,O.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」