世界大百科事典(旧版)内のプトレマイオス王朝の言及
【アルシノエ[2世]】より
…ヘレニズム時代エジプト(プトレマイオス王朝)の王妃。いろいろな意味で,同朝の有名なクレオパトラ(7世)女王の先蹤(せんしよう)とも見られる。…
【エジプト】より
…王は行政(司法を含む),祭祀の最高責任者であり,みずから行うべき機能を委任して代行させるものとして官僚・神官の任命権を握り,要職には王族をあてた。地方には40あまり(プトレマイオス王朝では42)の州(ノモスnomos)が置かれ,州知事が任命された。州は守護神を共同信仰する共同体あるいは部族国家を原型とすると思われるが,初期王朝時代に整備された貯溜式灌漑水路網の一単位に相当し,それぞれが公儀宗教に組み込まれた州の守護神をもつ。…
【プトレマイオス王国】より
…アレクサンドロス大王の友人プトレマイオスPtolemaios(プトレマイオス1世ソテル)が,大王の死(前323)後エジプトのサトラップ(総督)として赴任し,後継者(ディアドコイ)争いに勝利をおさめて開いた王国。前305か304‐前30年。その王朝をプトレマイオス朝,あるいは開祖プトレマイオスの父ラゴスLagosの名をとってラゴス朝ともいう。
[歴史]
開祖プトレマイオス1世はパレスティナ,キプロス,小アジアにまで領土を拡大し,国内では行政組織を整えて国家の基礎を築き上げた。…
※「プトレマイオス王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」