プレスブルク和議(読み)ぷれすぶるぐわぎ

世界大百科事典(旧版)内のプレスブルク和議の言及

【マクシミリアン[1世]】より

…1477年ブルゴーニュ公女マリアと結婚,その遺領とともにネーデルラントを得るが,そのためにフランスとの抗争に巻き込まれた。90年以降チロルを獲得,ハンガリー王マーチャーシュ1世の死(1490)後ハプスブルク世襲領の回復に成功,91年のプレスブルク和議でボヘミア,ハンガリーの王位に対するハプスブルク家の継承権を獲得した。イタリアにおける覇権をめぐってもフランスと対立し,北イタリアの諸都市や教皇庁,さらにスペインとの間に複雑な同盟・対立関係を続けた。…

※「プレスブルク和議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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