プレスブルク和議(読み)ぷれすぶるぐわぎ

世界大百科事典(旧版)内のプレスブルク和議の言及

【マクシミリアン[1世]】より

…1477年ブルゴーニュ公女マリアと結婚,その遺領とともにネーデルラントを得るが,そのためにフランスとの抗争に巻き込まれた。90年以降チロルを獲得,ハンガリー王マーチャーシュ1世の死(1490)後ハプスブルク世襲領の回復に成功,91年のプレスブルク和議でボヘミア,ハンガリーの王位に対するハプスブルク家の継承権を獲得した。イタリアにおける覇権をめぐってもフランスと対立し,北イタリアの諸都市や教皇庁,さらにスペインとの間に複雑な同盟・対立関係を続けた。…

※「プレスブルク和議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む