世界大百科事典(旧版)内のプレッシー対ファーガソン判決の言及
【黒人問題】より
…白人優越の思想racismが広くゆきわたり,黒人へのリンチはますます激しくなる一方,しだいに差別が州法によって合法化されるようになった。83年に最高裁は,憲法修正第14条よりも各州の権限が優越するという判決を下して,州ごとに差別を行いやすい条件を認め,96年にはプレッシー対ファーガソン判決に際して,〈分離はするが平等にseparate but equal〉という原則を示し,人種隔離制度に憲法上の根拠を与えた。それ以来,生活のあらゆる面にわたって黒人を差別することが南部の生活様式となって定着した。…
【ブラウン事件判決】より
…当時,南部を中心に20余りの州が,南北戦争後の人種隔離政策segregationに根ざす別学制度をとっていた。1896年の最高裁先例〈プレッシー対ファーガソン判決〉は,白人と黒人の設備が同等であれば,人種の違いを理由に隔離することを認めていた。事件は黒人であることを理由に娘の入学を拒否されたカンザス州トピーカのオリバー・ブラウンが,教育委員会を告訴したもので,本判決は,先例の〈分離しかし平等〉という法理は公立学校教育の分野に適用されないとし,〈分離された教育は本質的に不平等である〉と判断した。…
※「プレッシー対ファーガソン判決」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」