世界大百科事典(旧版)内のヘッセン・ナッサウの言及
【ヘッセン】より
…66年普墺戦争に際してはオーストリア側についたが,クールヘッセンとは違って取りつぶしは免れ,北ドイツ連邦(マイン川以北地域に関してのみ加盟)を経てドイツ帝国の構成国になった。第1次世界大戦後はヘッセン自由国としてワイマール共和国の一州となり,第2次大戦後,旧プロイセンのヘッセン・ナッサウHessen‐Nassau州(1866年にプロイセンに併合されたクールヘッセン,ナッサウ,フランクフルト・アム・マインから成る)とともに現在のヘッセン州に編入された(ライン左岸のラインヘッセンはラインラント・ファルツ州に編入)。1946年発布の州憲法の下で議会制民主主義の政治が行われている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」