ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルシンキ会議」の意味・わかりやすい解説
ヘルシンキ会議
ヘルシンキかいぎ
「ヨーロッパ安全保障協力会議」のページをご覧ください。
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… 一方,東西関係の分野では,69年に入ってから,対決より交渉のスローガンを掲げたアメリカのニクソン共和党政権の発足,西ドイツのブラント政権による〈東方政策〉の展開によって,ソ連が戦後求め続けてきた東・西ヨーロッパの現状承認の見通しが開け,また米ソ関係の改善を軸に,いわゆるデタントの時代が開幕した。75年7月,アメリカ,カナダを含むヨーロッパ35ヵ国のヘルシンキ会議とそこで採択された最終文書は,デタントの輝かしい里程標であった。ソ連はすでに70年代初め,〈いまやソ連抜きで解決できるような重要な国際問題はない〉(グロムイコ外相)と言いきるまでになっていたが,この自信を支えていたものは,72年5月の第1次戦略兵器制限交渉によって確認された米ソ間の戦略的均衡の達成であった。…
※「ヘルシンキ会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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