世界大百科事典(旧版)内のベネルクス関税同盟の言及
【オランダ】より
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[外交]
第2次世界大戦以後オランダは西ヨーロッパの忠実な一員として今日にいたっており,(1)NATO体制の堅持とヨーロッパ統合の推進,(2)貿易・海運国家として海空航行の自由と通商の自由の堅持,(3)第三世界への積極的な経済・技術援助,を外交の三大基調としている。 1944年ベルギー,ルクセンブルクと〈ベネルクス関税同盟〉(58年に経済同盟)を結び,政治的経済的に緊密な協力体制をつくり上げた。46年国際連合の原加盟国となり,ほとんどの国連諸機関に加入している。…
【関税同盟】より
…1952年には,フランス,西ドイツ,イタリア,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの6ヵ国によって,ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され,58年までにはECSC内の鉄鋼関税は撤廃され対外関税の調整も完了する。それよりも以前の1948年に,オランダ,ベルギー,ルクセンブルクの3国によって結成された〈ベネルクス関税同盟〉は,58年には〈ベネルクス経済同盟〉に発展していった。ヨーロッパ経済共同体(EEC)は,これらをさらに拡大したものである。…
【ベネルクス】より
…ベルギー,オランダ(ネーデルラント王国),ルクセンブルク3国の呼称で,3国の頭文字を組み合わせたもの。第2次大戦末期の1944年9月5日,亡命中の3国政府によりロンドンで締結され,48年発効した〈ベネルクス関税同盟〉に由来する。3国は58年さらに強固な経済的統合と広域市場の実現をめざして経済同盟を結び,3国間の資本,商品,労働力,サービスの移動を自由化し,NATO(北大西洋条約機構),EC(ヨーロッパ共同体)への加盟など国際的にも行動をともにしている。…
【ベルギー】より
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[外交,軍事]
ベルギーは,第1次大戦まで永世中立国であったが,2度の大戦で中立を侵犯された経験から,第2次大戦後は一貫して西側の一員として集団安全保障に頼り,NATO(北大西洋条約機構)の発足当時からその一員である(ドイツに2個旅団駐屯)。また戦後,隣接の同じ小国オランダやルクセンブルクとベネルクス関税同盟を結んだうえ,EEC,ヨーロッパ鉄鋼石炭共同体,EURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)にも発足当初から加盟し,現在EUの本部もブリュッセルに置かれている。 軍事面では,1995年から徴兵制を廃し,民間人の活用により軍人を大幅に削減した結果,兵力は4万5900人まで,縮小された,(陸軍3万0600人,海軍2800人,空軍1万2500人,軍事費は958億ベルギー・フラン。…
【ヨーロッパ共同体】より
…ヨーロッパにおける三つの超国家的な地域統合機構であるヨーロッパ経済共同体(EEC),ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC),およびユーラトム(ヨーロッパ原子力共同体EURATOM)の総称。ECと略称するが,1992年のマーストリヒト条約によって誕生したヨーロッパ連合(EU)の一部となった。3共同体の立法機関である理事会と執行機関である委員会が,1965年4月に調印された融合条約によって,単一のEC理事会(通称は閣僚理事会)と単一のEC委員会に統一されることになり,67年7月1日を機に3共同体は機構的に統一され,以後ヨーロッパ共同体と呼ばれることになった。…
※「ベネルクス関税同盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」