世界大百科事典(旧版)内のベルケの言及
【キプチャク・ハーン国】より
…国家の創設者バトゥ(在位1227‐55)はジュチの第2子で,1236‐41年に,キプチャク草原,ロシア,東欧を席巻し,ボルガ下流のサライを中心として国家の基礎を築いた。その際,長兄オルダOrdaらがジュチの本領(イルティシュ流域)を継いで国家の左翼となり,ハーン位を継承したバトゥは,弟のベルケBerkeやシバンShibanらとともに,右翼に所領を占めた。後の史料では,左翼の所領を青帳ハーン国Kök Orda,右翼を白帳ハーン国Aq Ordaと呼ぶこともある。…
【サライ】より
…旧サライはボルガ川の支流アフトゥバ河岸に位置し,バトゥ(在位1227‐55)の建設にかかり(バトゥ・サライ),彼はここを首都と定めた。新サライはこのやや上流にベルケ(在位1255‐66)によって建設され(ベルケ・サライ),ウズベク(在位1312‐42)の初期に新しい都となった。両都市とも政治都市であると同時に東ヨーロッパ,西アジア,中央アジアを結ぶ交易網のうちの要地にあたり,商業都市として栄え,13世紀の旅行家イブン・バットゥータはそのようすを伝えている。…
※「ベルケ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」