世界大百科事典(旧版)内のベールイ・ゴロドの言及
【モスクワ】より
…ソビエト時代になってからもメーデーや革命記念日のパレードは赤の広場で行われるならわしになっている。 1580年代から90年代にかけて,クレムリンとキタイ・ゴロドをつつみこむように,ベールイ・ゴロドBelyi gorod(〈白い町〉の意。〈ツァーリの町〉とも呼ばれた)が城壁でかこまれ,さらにその外側のゼムリャノイ・ゴロドZemlyanoi gorod(〈土の町〉の意)の周囲に土塁が築かれた。…
※「ベールイ・ゴロド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」