ペスト塔(読み)ぺすととう

世界大百科事典(旧版)内のペスト塔の言及

【ペスト】より

…こうして人口激減によりヨーロッパ荘園経済は衰微し,宗教と学問の権威は失墜し,中世的な秩序が崩壊し,近代社会誕生をうながす要因の一つとなった。ヨーロッパの古い町の広場には,ペスト退散を記念する〈ペスト塔〉が今でも残っている。 ペストはその後ヨーロッパで小流行を繰り返し,デフォーが《ペスト(疫病流行記)》を書いた1665年のロンドンの大流行を最後に,18世紀以降はかなり散発的となったが,19世紀の終りにアフリカ,アジアで再燃し,今日でも南アメリカ,アジアの奥地に病巣が残っている。…

※「ペスト塔」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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