世界大百科事典(旧版)内のペッペルマン,M.D.の言及
【ツウィンガー宮殿】より
…1711‐28年建設。建築はペッペルマンMatthäus Daniel Pöppelmann,彫刻はペルモーザーBalthasar Permoserほかが担当。祝典行進,馬術競技,演劇などの催しを行う広場を囲う背景として設けられたもので,翼部を伸ばし,要所に楕円形パビリオン,温室,王冠の門を配置する。…
【ドイツ美術】より
…彼のニュンフェンブルク宮殿のアマーリエンブルク(1734‐39)やミュンヘンの王宮劇場(1750‐53)は,D.ツィンマーマンのウィース巡礼教会(1746‐54)とともにバロック末期ロココ様式の代表作である。同じころポツダムではクノーベルスドルフがサンスーシ宮殿(1744‐47)造営に携わり,ドレスデンではペッペルマンMatthäus Daniel Pöppelmann(1662‐1736)のツウィンガー宮殿(1711‐22)が成立した。 これらの建築はスタッコの彫刻や装飾ならびにフレスコ壁画で埋めつくされ,一大総合芸術を顕現させた。…
【バロック美術】より
…わりに早い時期に属するのは,ウィーンのザンクト・カール・ボロメウス聖堂(1716)を造ったJ.B.フィッシャー・フォン・エルラハやJ.プランタウアーなどで,これにJ.L.vonヒルデブラント,デッカーPaul Decker(1677‐1713)らがつづく。また宮廷建築においても,ザクセンのペッペルマンMatthäus Daniel Pöppelmann(1662‐1736)がドレスデンに造ったツウィンガー宮殿(1711‐28)や,ヒルデブラントのウィーンのベルベデーレ宮殿などのような作品があり,イタリアに端を発する大階段室のデザインは,ゲルマン文化圏において,もっとも幻想に満ちた世界を構築するに至っている。 スペインのバロックは地方差が強いが,一般に豊麗な装飾へと向かう面が認められ,カスティリャのチュリゲラJosé‐Benito de Churriguera(1665‐1725)を中心とするチュリゲラ一族においてそれは最高潮に達する。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」