ペレヤスラフ協定(読み)ぺれやすらふきょうてい

世界大百科事典(旧版)内のペレヤスラフ協定の言及

【ウクライナ】より

…48年ウクライナ・コサックはポーランドからの独立戦争をボフダン・フメリニツキー(1595‐1657)に率いられて開始した。54年にはウクライナ・コサックは新興の正教国モスクワとペレヤスラフ協定を結んでポーランドと対抗した。しかし67年ポーランドとモスクワはアンドルソボの講和によりウクライナを分割することに同意した。…

【フメリニツキー】より

…しかし50年のベレステチコの戦でポーランド軍に敗北した彼は新たな同盟者として新興の正教国ロシアと交渉を開始した。54年モスクワのツァーリ,アレクセイとウクライナ・コサックの代表としてのフメリニツキーの間にペレヤスラフ協定が結ばれた。コサックはその自治を維持しつつ,ロシアのツァーリの宗主権を認める内容であった。…

※「ペレヤスラフ協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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