世界大百科事典(旧版)内のペンシルベニア制の言及
【行刑】より
…他の諸州でも自由刑が死刑に代わったが,収容者の増加により従来の地方監獄jailでは不十分となり,18世紀から19世紀にかけて州立刑務所prisonの建設が相次いだ。ペンシルベニアでも1818年のものにつづいて28年に西懲治監,翌年に東懲治監が開設され,その独房方式はペンシルベニア制(ないしフィラデルフィア制)として他州の注目をひいた。ニューヨークでも1797年にニューゲート刑務所,1816年にはオーバーン刑務所を開設し,厳正独居を含む体制を実施したがうまくいかず,24年にオーバーン制として知られる,昼間は雑居で沈黙制の下に作業,夜間は独居の体制を実施した。…
【刑務所】より
…18世紀末には,J.ベンサムによるパノプティコン(一望監視制の円形監獄)の提案などもあり,18世紀から19世紀にかけて,自由刑が中心的な刑罰として確立するに伴い,本格的な刑務所建築が各地で行われた。初期には,逃走事故防止のための監視体制を基本に居房内拘禁が絶対視されたが,アメリカ合衆国におけるペンシルベニア制(厳正独居。フィラデルフィア東懲治監が有名)とオーバーン制(昼間は沈黙下での共同作業。…
※「ペンシルベニア制」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」