世界大百科事典(旧版)内のホイッグ史観の言及
【イギリス】より
…正式名称=グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国The United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland面積=24万4792km2人口(1996)=5848万9975人首都=ロンドンLondon(日本との時差=-9時間)主要言語=英語通貨=ポンドPoundヨーロッパ大陸の西方に位置する立憲王国。正式の国名は〈グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国〉で,〈英国〉とも呼ばれる。…
【ピューリタン革命】より
…しかし18世紀後半以降,急進主義の運動が展開すると,17世紀史に対する再評価の気運が生まれ,当面の課題であった議会改革の先駆としてのこの闘争のもつ意義が見直されて,これまでの〈反乱〉に代わって〈内乱〉と呼ぶ傾向が強くなった。立憲君主制の成立という視点からすれば,のちの〈名誉革命〉のほうに高い評価が与えられたものの,17世紀以降のイギリスの順調な発展をヨーロッパ諸国と対比させて肯定的にとらえる見方は,19世紀中葉にT.B.マコーレーによって〈ホイッグ史観〉として定式化され,それが長らくイギリスにおける正統史観としての座を占めた。そしてこの史観の副産物として,〈内乱〉におけるピューリタンの貢献をたたえる〈ピューリタン革命〉という呼称も広く使われるようになった。…
※「ホイッグ史観」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」