世界大百科事典(旧版)内のホイットビー会議の言及
【ケルト教会】より
…4世紀末から5世紀初頭ニニアンやパトリックによって基礎を置かれ,アイルランド,スコットランドを中心に大陸の一部でも12世紀ころまで続いたケルト人の教会。血縁的・地縁的集団と結びついた司教区の設定,修道院長が司教を兼ねる特異な教会制度,東方の影響を受けた暦法や慣習でカトリック教会とは対立したが(664年ホイットビー会議),中世初期の西欧で彼らが果たした学問,芸術,伝道上の貢献はきわめて大きかった。【今野 国雄】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」