ボイェボド(読み)ぼいぇぼど

世界大百科事典(旧版)内のボイェボドの言及

【ワラキア】より

…またドナウ川南岸地域にも居住し,第二ブルガリア帝国を建てたアセン王朝にはブラフ人の要素が認められ,事実その国王を〈ブルガリア人とブラフ人の支配者〉と呼んでいるローマ教皇グレゴリウス9世の勅書(1237)もある。このようなブラフ人の共同体はブラフ人の法と呼ばれる慣習法をもち,クネズcnezあるいはジュデツjudecと呼ばれる首長に率いられ,さらに共同体連合の軍事的な首長にはボイェボドvoievodがいた。これらの共同体の多くは15~16世紀に強まる領主制支配の拡延によって特権を失い同化されていったが,ブラフ人自身の国家形成に成功したのがワラキアとモルドバだったのである。…

※「ボイェボド」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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