世界大百科事典(旧版)内のボズウェル伯の言及
【メアリー・スチュアート】より
…しかるに65年,自分同様イングランド国王ヘンリー7世の血を引く従兄の旧教徒ダーンリー卿と結婚して新教徒貴族の反発を買い,寵臣D.リッツィオを殺害され,しかも性格不一致をうわさされた夫のダーンリー卿は67年なぞの爆死をとげた。その直後,女王はダーンリー卿殺害の主謀者と目されたボズウェル伯と結婚したため,貴族たちは反乱に立ち上がり,女王はロッホ・リーブン城に監禁され,屈服して息子のジェームズ6世(後のイングランド王ジェームズ1世)に譲位した。翌年脱出して再起をはかったが失敗し,イングランドに逃げこんだ。…
※「ボズウェル伯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」