世界大百科事典(旧版)内のポート・サンライトの言及
【住居】より
…やがて工業家たちのなかから,工場と従業員住居を一体として計画する新しい都市づくりが現れる。1850年にヨークシャーにつくられたソルテアSaltaire,79年にチョコレート工場主G.キャドベリーが建設したブーンビルBournville,88年にセッケン工場主レバーの建設したポート・サンライトPort Sunlightなどがイギリスにおける代表例である。アメリカでは寝台車製造工場主G.M.プルマンが建設したプルマンPullmanの町(1880),ドイツでも製鉄会社クルップによるクルップ・コロニーKruppkolonie(1905)などの例が見られた。…
【都市計画】より
…しかし,労働者の生活へ向けた関心,協同組合方式による運営,都市と農村の結合といった計画志向は当時の世人の注意を喚起し,工場経営者の中には自分の工場を都市の郊外に移して,労働者に対しよい住宅と環境を与えることが望ましいと考え,モデル・タウンを実際に建設するものが現れた。エッセンの製鉄工場が開発したいくつかのクルップ・コロニー(1865‐ ),キャドバリーGeorge Cadbury(1839‐1922)のボーンビルBournville(1895),リーバWilliam Hesketh Lever(1851‐1925)のポート・サンライトPort Sunlight(1887)などは有名である。E.ハワードは1898年《明日の田園都市》を出版して田園都市garden cityの理想を説いた。…
※「ポート・サンライト」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」