世界大百科事典(旧版)内のマインツ協定の言及
【ライン[川]】より
…15年ウィーン会議の結果バーゼルから北海までの航行の自由が流域諸国に認められたが,協定の解釈をめぐって河口を領有するオランダと上,中流域のドイツ諸国との間に争いが生じ,結局,ライン川の航行の自由が実現したのは30年のベルギー独立でオランダが打撃を受けた31年であった。同年バーデン,バイエルン,フランス,ヘッセン,ナッサウ,オランダ,プロイセンの流域諸国はマインツでライン川航行に関する協定(〈マインツ協定〉)を結び,指定市場権,積替権,船運業者ギルドの特権の廃止,航行の自由を宣言した。この協定は1868年の〈マンハイム協定〉によって補充され,1963年に再度修正されて現在までライン川航行自由の法的根拠となっている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」