マトス・ロドリゲス,G.H.(読み)まとすろどりげす

世界大百科事典(旧版)内のマトス・ロドリゲス,G.H.の言及

【タンゴ】より

…1917年に《わが悲しみの夜》を歌って以来アルゼンチンのアイドル歌手となったカルロス・ガルデールにより,水準の高い歌謡としてのタンゴが普及したことも見落とせない。楽団演奏はバイオリン,バンドネオン(それぞれ2~6),ピアノ,コントラバスの編成(これを標準楽団の意味で〈オルケスタ・ティピカorquesta típica〉という)が定型化し,20年代までに《ラ・クンパルシータ》(マトス・ロドリゲスGerardo Hernán Matos Rodríguez作曲。1917年レコード化)など古典的名曲の数々が作られるとともに,演奏スタイルの型も完成された。…

【ラ・クンパルシータ】より

…タンゴの中で最も広く知られている曲。ウルグアイのマトス・ロドリゲスGerardo Hernán Matos Rodríguez(1897ころ‐1948)が学生のころに作曲したといわれ,作られた年は1914年,17年など諸説がある。初演した人はピアニストのフィルポRoberto Firpo(1884‐1969)とされるが,これにも異説が唱えられている。…

※「マトス・ロドリゲス,G.H.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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