世界大百科事典(旧版)内のマナワポウ集会の言及
【マオリ戦争】より
…グレイ総督は農業の振興や伝道活動をマオリ対策にとりいれたが土地の測量などをめぐり殺戮や小競合いが繰り返されるようになった。54年北島西海岸タラナキ地方のワイレム・キンギ首長らが土地問題を討議した(マナワポウ集会)のがきっかけで,58年にマオリ民族主義者の首長たちは部族連合による王国を樹立,マオリ王を擁立した。60年タラナキで王国の支持を得たキンギの反乱軍がイギリス軍と衝突し,マオリ戦争の発端となった。…
※「マナワポウ集会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」