世界大百科事典(旧版)内の《マハゴニー市の興亡》の言及
【叙事演劇】より
…叙事演劇の各場は独立しており,事件は飛躍的に進むので,例えば前の場で始まった事件は,その過程をいちいちたどることなく,次の場ではすでに結末として次の事件の発端を作る,というような構成になっており,場合によっては一場をそっくり抜かしても,作品全体の構成が崩れることはない。 ブレヒトはオペラ《マハゴニー市の興亡》(1931)の注で,叙事演劇と〈劇的〉演劇とを項目に要約しながら比較対照している。たとえば,〈観客の活動力を消費する〉(〈劇的〉)に対して〈観客の活動力を鼓舞する〉(叙事),〈変わることのない人間〉に対して〈変わりうる,また変わりつつある人間〉,〈思考が存在を決定する〉に対して〈社会的存在が思考を決定する〉などであるが,観客や読者が〈叙事(詩)〉の語の元来の意味などにも引きずられて,この演劇理念を必ずしも意図したように理解しない場合もあったので,晩年には,誤解を避けるために,〈弁証法の演劇〉という呼び方を使うことを考えていたといわれる。…
【ブレヒト】より
… 28年の《三文オペラ》の画期的な成功は,オペラの革新と劇における音楽の拮抗的な役割を考えさせることになるが,そういう関心と社会的な主題が結びついたのが一連の教育劇の試みであり,E.ピスカートルの政治演劇からも多くの刺激を得て,新しい世界像を獲得するための〈叙事演劇〉の構想を明確化していく。《三文オペラ》と同じくK.ワイルの作曲によって上演されたオペラ《マハゴニー市の興亡》(1929)の注にまずこの理論の輪郭が示される。ナチス登場の前夜には,教育劇《処置》やM.ゴーリキーの同名の小説を劇化した《母(おふくろ)》(1930ころ),《屠殺場の聖ヨハンナ》(1929‐31)のような政治的主題をテーマとした新形式の作品が書かれたが,いずれも観客自身に,提起された問題を考察し認識に達する過程を委ねているのが特色である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」