世界大百科事典(旧版)内のマハータンマラーチャーの言及
【スコータイ朝】より
…スコータイは次代のルータイ王(在位1316?‐46?)のとき版図の大半を失ったが,簒奪王グワ・ナムトムを除いて王位についた子のリタイ(在位1347‐74?)は,祖父の築いたスコータイの威勢を再興した。リタイは〈大正法王(マハータンマラーチャー)〉と呼ばれる篤信の仏教徒で,王子時代にトライプームという仏教宇宙論を著した。1350年南方にアユタヤが勃興すると,スコータイはしだいにその勢力を奪われ,1438年ついにアユタヤ朝の一部に併合され独立を失った。…
【リタイ】より
…61年スリランカに留学したパン(ビルマのマルタバン?)の高僧マハーサーミー・サンカラートをスコータイに招請し,これに寄進した精舎においてみずから短期間出家生活を送り,崇仏の範を示した。こうした仏教に対する傾倒から王はタイ史上マハータンマラーチャー(大仏法王)1世とも呼ばれている。【石井 米雄】。…
※「マハータンマラーチャー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」