世界大百科事典(旧版)内のマパイの言及
【イスラエル[国]】より
…かくして多数の政党が分立するところから,建国後1988年までに行われた12回の総選挙において,どの政党(あるいは政党連合)も単独では国会の議席の過半数を制することができず,つねに複数の政党の連立によって政権が樹立されてきた。しかし,どの政党も単独では政権を樹立できない半面,1977年まではつねに社会主義シオニズム政党である労働党(かつてはマパイMapa’i党と名のっていた)が国会で最多議席を獲得し,政権の中核を占めていた。イスラエル建国のために主導的役割を果たしたのは,ロシア・東欧から移住してきた,社会主義の影響を受けたシオニストたちであったが,その流れを汲むマパイ=労働党はイスラエル社会のあらゆる分野で有力な人材と強力な支持層を擁していたからである。…
【ベン・グリオン】より
…第1次大戦中の15年オスマン帝国当局により追放され渡米したが,18年にパレスティナに戻り,イギリス軍の下でユダヤ軍団を組織してオスマン帝国と抗戦した。20年ヒスタドルートHiṣtadrut(ユダヤ労働総同盟またはイスラエル労働総同盟)を結成し書記長となり,30年マパイ党(後の労働党)を結成し党首となり,35‐48年ユダヤ機関議長となるなど,委任統治下のパレスティナでユダヤ国家樹立のため指導的役割を果たした。48年5月14日自ら中心となって起草したイスラエル独立宣言を発し,直ちに臨時政府の首相兼国防相となる。…
※「マパイ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」