世界大百科事典(旧版)内のマフィア映画の言及
【ギャング映画】より
… 映画史的には,ギャング映画の流れは犯罪組織(シンジケート)ものと集団強盗(ビッグ・ケイパー)ものに分かれていく。前者はラッセル・ラウズ監督《紐育秘密結社》(1955)からフランシス・コッポラ監督《ゴッドファーザー》(1971)に至る〈マフィア映画〉に,後者はジョン・ヒューストン監督《アスファルト・ジャングル》(1950)やジュールス・ダッシン監督《男の争い》(1955)からマイク・ホッジス監督《狙撃者》(1971)やピーター・イェーツ監督《ホット・ロック》(1971)などに至る〈泥棒映画〉に,その流れを見ることができる。
[日本のギャング映画]
日本映画史にギャング映画が現れるのは,山本喜久男《日本映画における外国映画の影響》によれば,1932‐33年ころからで,《暗黒街の英雄》《カポネ再現》《非常線の女》《警戒線の女》《摩天楼の顔役》《ギャング討伐》といった作品が次々につくられたが,いずれも題名からして明らかなように,スタンバーグ監督《暗黒街》《非常線》,ハワード・ホークス監督《暗黒街の顔役》などの影響と模倣によって生まれたものであり,以来,日本のギャング映画は〈無国籍アクション〉映画としての宿命を背負い続けていくことになる。…
※「マフィア映画」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」